2025.11.18
第4話:植木・導線・目隠し――“見えない整え方”に宿るZEN
庭をつくるとき、よく聞かれるのは「どの木を植えるか?」ということ でも僕が大切にしているのは、“どこに”植えるかです。 例えば: アプローチの途中でふと視線を止める「見つけの木」 玄関を出て振り返ったときに映える「見返りの木」 視線が抜けすぎる場所に置いて、自然に歩みを誘導する植栽 これらは説明しなければ気づかれないほど小さな工夫。けれど、人の動きや心の落ち着き方に大きく影響しま…
投稿日:2025.11.18 最終更新日:2025.11.18
〜勾配が取れない現場で、どう“ととのう”のかを考える〜
「ZENの庭」と聞けば、多くの人が思い浮かべるのは、京都のお寺などに多く見られる苔や白砂、波模様の砂紋。
でも僕が現場で向き合ってきたのは――雨水、勾配、雑草、視線、メンテナンス。そういう“暮らしのリアル”なお悩みでした。
忘れられない現場があります。
敷地にほとんど高低差がなく、勾配すら取れない。普通なら「水が溜まりますよ」で終わってしまうような条件。けれど、そこから先が面白いんです。
僕がした工夫は、例えば:
玄関ポーチ1段までかさ上げし、車庫のコンクリートの中央を谷にして排水を工夫
デッキ下を砕石で仕上げ、雨水をそのまま浸透させる層にした
アプローチの一部に割栗石を配置し、“水の抜け道”に変えた
どれも地味で目立ちません。けれど、雨が降ったあとに水が流れていくのを見ると、現場でしか味わえない満足感がある。
僕にとってのZENは「無」ではない。
与えられた条件の中で、暮らしがととのうように、そっと整えていくこと。
割栗石の土留めも同じです。形も大きさもバラバラの石を、人の手で崩れないように積み上げる。完全な均一じゃないからこそ、自然に馴染み、落ち着きを生む。
それはまるで「不揃いをそのまま受け入れながら、静かにととのえる」作業そのもの。
そこに、僕はZENを感じるのです。
👉 次回予告
第4話:形をいじらず、敷地を“活かす”ということ。
ありのままの土地に寄り添う設計は、なぜ心地よいのか?
2025.11.18
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2025.11.18
ネットで“ZEN GARDEN”って検索すると、 だいたいこんな画像が出てくるんですよね。 コケ 白砂利に石がポツン 熊手で描いた波みたいな模様 なんか“無”な感じのやつ ザ・京都のお寺の庭! あー、あれね 「いかにも禅寺の庭!」っていう、あれ それって、ほんとに“ZENの庭”なの? って思う 正直、悪いとは思わないけど ああいうのって、住職が歩く庭であって、 子どもや犬が走る現実的…
2025.11.18
世界の庭みてると良く出てくる「ZEN」 庭でもデザインでもライフスタイルでも、「ZENスタイル」とか「ZENミニマル」とか出てくる なんとなくイメージはある。 「禅」「座禅」かーつ!みたいなの 静かで、シンプルで、ちょっとかっこいい感じ。 でも、ふと思ったんですよね。 ところで、「禅」ZENってなに? 正直、日本人でも、ちゃんと知ってる人少ないんじゃないかな? しかも外構の仕事してて、「ZENっぽい庭…